空気を読み解いた上で実体化するためには

ある異常体験者の偏見 (文春文庫)


いろんなところで言ってるけど、先日機会あってまた"KYって最悪!"という話をしていたら、この本面白いよと言って貸してくださった方がいたので、読んでみました。いやまあ、山本七平ぐらい読んでから空気についてぶつくさ家と言われればそれまでなのですが、イザヤ・ベンダサン読んだだけじゃだめですかそうですか。

面白い!つか1974年、つまりオレがうまれた年の本なのに、まるで最近の話をされてるようなリアルタイム感がバシバシ来るのがすごいね。

評価の別れる人(Wikipedia参照)ではあり、この本の議論も、議論の起点というか立脚点はどーなのとか思うけど、議論自体はすごく面白いね。「そう、そうなんだよ!って膝を打つ文章が頻出する。

まあ一言でまとめると「思考が止まりかけるような動物的な極限に近い状況の経験に基づいて、論理的に考えるとは何なのかを考えてみました」っていう事なんだろうけど、まあこれはすごいね。文字通り皮膚感覚に基づいて議論されると圧倒されるよねやっぱり。

これを読みながら、中国lovesチベット@長野のニュースとか見てると、空気ってどうやってできるんだろーなーとか非常に観察しがいがありますね。日本側も中国側も。

最近よくあるパターン

  1. BGVのつもりでPerfumeが出てる番組を録画したものなどかける
  2. 3人が踊り始める
  3. 見入る
  4. そのまま番組続行
  5. 作業してない

まあどうでもいいんだが編集してまとめらんないのでHDDが減っていきます。死ねDRM。

平和島ドンキホーテ午前0時

欲しい!AVアンプ!読もう!コミックビーム!

ということで昨日NTT-X Store のDM読んでたら、以前ちょっと欲しいなーと思ってたONKYOのAVアンプ、TX-SA605が特価44,800で売ってて、衝動買いしそうになったが一晩寝かせてやっぱり買った。

最近家で音楽DVDをBGVにしている事が多いので、ちとTVのスピーカーだけだと音がしょぼいなーと思うこともあるのだが、コンポにつなぐと電源とか入力切り替えの連動がめんどくさい。でもこのアンプ、うちのTV(東芝REGZA Z2000)とRI端子で電源連動してくれるのよねこれ。HDMI1.3じゃないからHDMIでは連動してくれなくて、連動してくれるの基本的にONKYOだけなんだよね。

で、今朝届いた。とりあえず昼飯食って二度寝したら夜になっていた。

ごにょごにょケーブルつないで設定してたら(仕事しろ)、何本かたりない。もう午後10時近く、大井町ヤマダ電気に行ったが閉まってた。

仕方ないのでいったん引き上げて、「そういえば桜玉吉先生が昔ドンキホーテに深夜にAVケーブル買いに行ったエピソード買いにいってたなあ」というのを思い出し(下記参照)、平和島にあるらしいのでいってみた。

御緩漫玉日記 (1) (Beam comix)


そういうわけで午前0時平和島ドンキホーテ。

東京西部とは思えないヤンキーテイストの高い妙な人口密度の高さにちょっとびびる。自動車パーツコーナーで「LEDってネオンより光るんだろ?」といった会話をする茶髪パンチの若者男子。ジャージで酒のつまみばかりの買い物をする中年夫婦。

京急乗っててもそんなにいないような気がするんだけどそういう若者。ちと不思議。

まあそういうわけで買ってきたケーブルつなぎました。

AVアンプ

とりあえず無駄に「パワーヨーガ」のDVDの音が良くなったw

それだけだとあんまりなので予定通りPerfume/GAMEのDVDを堪能しました。

ああ埋めたい。端子埋めたい!(これも玉吉ネタ)

村長のおなり

「村長がお越しになりましたので、はじめたいと思います」

という表現で村長が自分だという事を理解するのに十秒ぐらいかかってみた。

慣れません。

「先生」と呼ばれるのも苦手というかなんかどんよりするからヤなんだけど、まあこればっかしはしょうがないよなあ。。。

やっぱ役職名で人のことを呼ぶのは日常慣習としてはあまり褒められたモノではないと思うのだった。

恐るべき子供たち

読んでも見てもいないのだが>恐るべき子供たち

昨今の青少年ネット規制だのなんだのを見ていて思うのは、結局のところ大人は子供が恐いんだよなあという話。

子供は理性がなく、判断力がなく、守るべき対象であり、社会によって庇護せねばならない。

さらに加えて言えば、大人は自分の理性に自信がなく、自分の判断力に自信がなく、子供を守る自信もないので、社会=自分ではない誰かがスケープゴートになってくれるシステムによって擁護しておいてもらわなければ恐くてやってらんない。

要するに子供というのは絶対的他者に近い存在であるにも関わらず、庇護対象であるという、統治権力にとってはある意味まったく持って都合の良い存在。子供を守ると言ってしまえば、その他者の理解可能性などを全く意識する必要が無く - 絶対的他者なんだもの - 社会の原理原則 - 例えば憲法 - に反するルールを設定してもあまり問題がない、というか、絶対的他者への恐怖の方が上回る。

しかもその際、直接的に対象者をコントロールする可能性がないことになっているので、制御対象になるのは社会の参加者であるところの代理人 - 例えば通信サービス提供者や出版社 - を制御していい、というわけで。都合いい話ですよね。

でも考えてみりゃ、直接法律制定しようなんて、わかりやすすぎてある意味稚拙な話でもある。例えばじゃあ、青少年に限らず対象者によって見られるモノゴトを制御できるアーキテクチャを導入しておいてください、なん事だけがルール化されて、そのアーキテクチャの制御は自主規制と称して3社ぐらいの談合で作られた権力機構の天下り組織が一括管理、なんて事になるよりよほどマシなんじゃないかなどと思うのは杞憂なんでしょうか。

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