諸事情により、ブクログ始めてみました。
http://booklog.jp/users/10yama
漫画をシリーズで登録できると便利だなあ。
放っておいたtumblrも復活。やっとなんか使い方がつかめてきた。
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えーと、多少良くなりましたがそういうわけで喉の具合がいまいち、という事情はあるにせよ、夫婦そろって先ほどマスクをいろいろ買ってきてしまい、今うちには元々あったのも含めてこのようにマスクがございまして。ええ。
送信者 2009/05/17 マスク |
オイルショックのときはこういうバカがいてトイレットペーパーがなくなったんだろうなあ。。。
先日とある場所で話題になったのですが、文科省しか使っていないのではないかという日本語、「精深な」という言葉があります。
どういう場所で使われるかというと、具体的には大学院設置基準、修士課程について。平成15年版より。
「修士課程は広い視野に立って精深な学識を授け専攻分野における研究能力又はこれに加えて高度の専門性が求められる職業を担うための卓越した能力を培うことを目的とする。」
でも、「精深」という日本語は、現在は調べた限り、広辞苑にも大辞林にも大辞泉にも載っていないのです。とりあえずATOKは変換できません。なお、これは「せいしん」と読むようです。某所ではみんなで「せいたん」と読んでいましたが違うみたい。
ググってみると、ヒットするのはほぼ全て、上記設置基準に整合性を持たせる形で書かれた、各大学院の学則ばかり。
なお、大学院の位置づけの遷移については下記アドレス参照。
http://d.hatena.ne.jp/next49/20080116/p1
で、じゃあ旧文部省の学校規定表現にいつ「精深な」が出てくるのかを調べてみたんだけど、どうも一番古いのは明治27年の女子高等師範学校規定ではないかと思われる。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198101/hpbz198101_2_064.html
ようするに、高等性を明示的に規定上で差別化しなくてはいけなかった時に使ってみた表現が「精深な」なのではないかと思われるわけです。
じゃあ明治期に「精深な」が一般的な表現だったのかどうかなんだけど、まあ明治期にポピュラーだったら今の国語辞典にも載ってそうな気がするんだけど、どうなんでしょう?
興味深いのは、中国語辞典には「精深な」が載っていたこと。
http://www.ctrans.org/cjdic/search.php?word=%E7%B2%BE%E6%B7%B1
j���ngsh���n: 深く詳しく
まんまですな。
というわけで、これは漢語もしくは漢文由来なのではないかと思いつつ、かなり頑張って検索結果の深いところに出てきたのが、
朱子の「小学」を安岡正篤が読み解いてくれる下記の本「人間としての成長」。
でどうも朱子&精深でググると中国語文献がいっぱい出てきて(当たり前)そろそろめげてきました。
明治期の教養ある官僚あたりが漢文的な表現を規定に使って、それがあまり近代日本語としてはポピュラーになる事はないまま、文字面としてはそのままで分かったような気になるので、戦後の学制改革時にもそのまま生き延びて、現代に至る。
というような感じで生き残っている言葉なのではないだろうかというのが今のところの推理。モガモガ。
RCサクセション「トランジスタラジオ」には、メディア受容と教育について非常に示唆に富む内容が含まれています。
時代背景を考えるに、トランジスタラジオというのは当時において最も即時性の高いメディアである事は間違いありません。「知らない」「聞いた事がない」が連呼され、新しい知識・経験を得る際に、新しいメディアを利用することの重要性が描かれています。
一方、教科書というのはこの時点において、社会的評価の確定した知識の死蔵系、スタティックなメディアという認識で描かれているようです。
教育という行為の知識伝達という側面における最大の目的は、「受信者が知らない事・聞いたことがない事を、低コストに効率よく伝達する」事にあるわけですが、その際、受信者のアテンションがもっとも開かれた状況に環境を設定する事が重要になります。
トランジスタラジオという当時においてはパーソナルかつ即時性が高い伝達手段を用いてこの曲で描かれているのは、メディアの多様化を迎えた場合の社会において、他のより魅力的な知識伝達メディアが存在するときに、教科書-教室システムという形態が、受信者のアテンションエコノミーなどの観を鑑みた時に、教育手段としてどうなのよ、という教育批評の歌であると考えることができるでしょう。
。。。書いてみたらいまいち盛り上がらなかったので話題を変えます。
当時においては「君が聞いたことのないヒット曲」を聞くことが受信者にとって有意な事である、というのは重要な時代描写でしょう。なぜなら、21世紀00年台の若者の多くが「君が聞いたことがあるヒット曲」や「誰かが話題にしていたヒット曲」を聞くことに数少ないアテンションを費やしているであろう事は言うまでもありません。ていうかまあマイナー好きの人口比率と思い入れの問題だけどな。中2病賛歌だよねこれ。
。。。やっぱり盛り上がらんな。
うーん。blogって書くの難しいなあ。。。