2009年08月

努力は報われない、という表現

流しちゃってどこに書いてあったのか思い出せないのだが、最近読んだなにかの報道かblogに、若者が「努力が報われる」と思っていない、という大変印象だけな言葉でぶっ飛ばした記事が載っていたような気がする。

なんかいろいろ思ったので、断片的に書いてみます。

  • (社会にコミットしたことのない)学生は、まだ真の意味で報われる経験をしたことがあるはずがないので聞くのがおかしい
  • 努力が報われるためには、自分のした努力の分かりにくさに応じたプレゼンテーションの努力をしないと報われない(報われにくい)
  • 最もシンプルな場合でも努力は2階層からなっており、ある到達点に向けた蓄積的な努力と(例えば試験勉強)と、努力をプレゼンテーションする機会(例えば試験)でのフロー的なメタ努力が必要
  • 試験は非常に瞬発的なプレゼンテーション方法だが、努力をプレゼンテーションするための手法は多種多様なものがあり、向き不向きもあるような気がする
  • 努力は、「努力を誰に評価されたいのか」という問題を意識するのが非常に重要。誰に評価されるのが望ましいのかを選べるようになる努力、評価してもらえる機会を得る努力など、努力が報われるためには一般的には複層的な努力が必要
  • 一層目の努力しかせずに「努力が報われない」と言うのは、要するに必要な努力をしていないという事
  • 価値観がモノリシックで一方向なコミュニティは、努力の方向性や評価基準が一般的にシンプルになるので、必要な努力の複層性を意識する必要が薄い(例:高度成長期の受験戦争→いい大学→いい会社など)
  • 価値観が複雑化したコミュニティでは、努力の複層性を意識した努力が必要になる(どんな努力をするべきか取捨選択する選球眼を持つ努力、などが重要になる)
  • というわけで、価値観が複雑化した社会では「努力は報われますか?」というシンプルな問いに答えるのは難しく、シンプルにしか答えられない質問にはネガティブアンサーが増える気がする
  • ただし、有用な努力が比較的ストレートに評価されやすい社会やコミュニティの方がおそらく生きやすい
  • 生産性の高い幸福な社会、というのは努力の複層性をコミュニティの成員が多く理解しており、方向性の異なる努力をなんとかコミュニティの力に活かせるような包容力を持っている社会であると考えられる
  • 努力にコミュニティが報いるためには、コミュニティに資源蓄積が必要(必ずしも金銭とは限らない)
  • 現代において中高等教育を受ける価値は、努力の複層性に気づかせてもらい、自分のしたい努力を評価されやすい環境に移動できる機会を得る可能性を高められる事?

等など。寝よっと。

イヤホンつけて夜歩くのも久しぶり

なんかいろいろと疲れたので、ヱヴァ破2回目を見てきた。やー。いい映画だねえ。

真希波は改めてみるとやっぱいーな!。でもいまいち役所がはっきりしないねえ。次回作に期待?

新宿のバルト9に見に行ったんだけど、なかなかいいね。客席割と広いし、新宿の映画館の中じゃ割と気に入った。

シアターから出ると、国道20号沿いに足下に新宿高校、新宿南口、高層ビル街が見晴らせるのが気に入った。あんまりこの角度で新宿を見たことがないし、副都心線工事が終わって明治通りx甲州街道が凄くすっきりしてなんだか甲州街道が南口に向けて、ビル街に突き刺さっていくようでなんか爽快。

映画館で映画を見る良さがぐっと来る感じで、素敵。

第三新東京市に圧倒されて、宇多田の曲が流れて、幕が下りて外に出ると、甲州街道の向こうに現実のビルに航空障害灯が瞬く。エレベーターで降りると暗い歩道が証明に照らされる。

なんとなく余韻にひたるべく久しぶりにイヤホンつけて、駅に向かいながら Beautiful World (序の方のMix)。

最近めんどくさくて帰りに道をイヤホンつけてまで音楽聞いたりしてなかったんだけど、ココロに適度な隙間があればやっぱり夜、たらたら歩きながら音楽聞くのは悪くない。

京急の終電が終わっていたので、京浜東北の駅から徒歩10分ほどの道のり。くるりの「つらいことばかり」。鍵盤を使わせるとくるりはほんとうまいよなあ。

つらかろうが

暗い道聞く音楽は、孤独や不安とつらさと共にあるけれど。道が暗い事はそれはそれで素敵な事で、星が見えなくてもほの明るい空に光る航空障害灯は素敵で。なんだかんだでそういった諸々にドライブされて生きていて、諸々込みでそれはそれで悪くないし結構楽しいんだよな、と。

などと何となく年を取った感慨なども感じつつ帰宅したら、妻の人がNHKのBSでPerfumeをつけてた。なんかまあ、面白いし、悪くない。諸々。

無国籍映画

なつやすみかだい映画。

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を見た。

あまり事前知識なく見てたんだけど、なんか見てる間所々不思議な気分というかよくわかんない話とか演出だなー、と思ってたんだけど、見終わってから監督が韓国の人と知って納得。

しかも、猟奇的な彼女の人じゃん。超納得。

そうかこれは主演が綾瀬はるかの韓国映画だったのか。納得納得。

そう言われればいくら直下型地震でもそれはないだろとか、故郷シーンがいくらなんでも昔すぎないかとか、日本の若者にしちゃ不思議なダンスシーンとか、諸々の違和感が解決。解決してないという気もするが、まあ日本を素材にした無国籍映画なんだよなこれ要するに。

とりあえず綾瀬はるかはもの凄くかわいく魅力的に撮れているので、まあそれだけでもこの映画的には成功なんだろうなと。これはかわいいわー。

でも、タイムマシンものとしてちょっといくらなんでも設定が雑すぎる気がして、それはちょっと。まあ綾瀬はるか可愛かったからいいか。

っていう映画でした。

ディスク地獄

SeagateのST31000333ASっていう、例のバグ対象のHDDを持っていて、ふと思い出してファームウェアアップデートしたんですよ。昨晩。で、このファームウェアアップデート自体は、ISOファイルも提供されてさほどややこしくなく終わったんだけど。

同じディスクが3台あって、1台は特に問題なく終了。普通に使える。

残り2台は、Coregaの NAS Box(CG-NST2100GT, PromiseのOEM) に入れて使ってたんですよ。でまあ、「バックアップ必要とか当然書いてあるけど、まさかディスクのファームウェア上げたからって2台中2台ともおかしくなることねーだろ」と思い、むしろRAIDのミラー再構築とか走るとかったりーなー、と思い、システム停止して2台とも同時に変えてみたんですよね。

アップデートは普通に終わって、ディスクとしては健全に生きてるんですけどね。

まあもちろん、RAID、HDDときたら故障というぐらいで、「まさか」が起きるわけですよ!ある意味もう予想通り!

2台差し直して起動したら、2台ともNASが認識拒否しやがんの。なんでファームウェア入れ替えただけでディスク違うって信じ込むんだよー!中見てから判断しろよー!

もちろんNASに、無理矢理読み込むとか、データ非破壊再構築とか、そういうメニューはございません。NAS的には全面拒否の姿勢です。SSHとtelnetのpluginもenableしてあったけど、HDD領域読まないと使えないし。

でまあ、中身は、バックアップはどっかにあるはずだけどどこにあるのか分からないぐらいの感じのデータになっていてめんどくさいわけですよ。

でまあしょーがないから頑張って他のマシンから読み取ろうと戦いを始める。

Corega/Promise NAS は中に Promise のSATA RAIDチップを積んでるので、Software RAID じゃないんだよね。Mirroring でも、パーティーションは素ではないらしく、Acronis DiskDirector とかだとFSが見えない。

最近Macで生きていたので Desktop PC にはLinuxとか入れてないし、Ubuntu とか Knoppix のLive CDを使って見たんだけど、Xが上がっちゃうとうちのマシンのグラボうまく認識してくれなくて、画面が同期しない。Ubuntuってなんでテキストコンソールのシングルユーザーモードにできないの?

とかなんとかあって、Debian Live CD の rescue disk を使ってなんとか、ディスク操作できるまではたどり着く。

どうも Promise NAS 配下のディスクは、lvm2pv ってタイプでパーティーション一個作って、その中に lvm 使って認識させてるらしい。

vgscan

vgchange -a y

lvs

してなんとか認識したようである。 /dev/vg001/lv001 とかそんな感じ。

というわけでなんとかそこまで言ったので、NFSごしにマックの外付けディスクに吸い出して寝ました。

焦ってこんな作業をしていたら朝になってしまい、ちょっとだけ寝たけど起きたら頭がクラクラして気分が悪く、本日終了の巻。

午後になってナントカ行き交って出勤。そしてこっちはこっちで別のマシンのRAIDをいじる。そんな日。

「最近の学生はまともな日本語が書けない」について考える

学期が終わったので、採点時期。レポートをまとめ読みしてみる。最終レポートぐらい赤入れして返してみようかと思ったのだが、内容・文章とも、赤入れしようとするとついきっちり呼んでしまうので、いくら39人クラスと言えども一日仕事でまだ終わらない感じ。

内容面はまあ、「ああ、それ教えてないもんねー」等、どっちかというとこちらの至らなさを把握する感じではあるが、問題は文章力。

確かに「最近の学生はまともな日本語が書けない」んだよなーとしみじみ思う。まともな日本語としてそこそこまともなレポートをかけているのは、基準緩めに設定して2人いるかいないか、そんぐらい。

でもなんか、それって当たり前な気がするんだよね。というわけで、「最近の学生はまともな日本語が書けない」についての考察を少ししてみた。

そつのなさと文章力

何度か書いておりますが私の大学は「大学入試に向けて受験勉強を超頑張る」層ではない学生がターゲットなんです。入試の勉強でもっとも重要なのは知識よりなにより、「そつのなさ」を身に付けることだと考えると、はっきりいってうちの学生は「そつだらけ」。

慎重さに欠けるし、まあ大学の必修授業のレポートなんて書き殴ってるだろうし、コンピュータリテラシの授業でそんなに日本語をチェックされているとも思ってないだろうし、おそらく「文章を見直して、整合性をチェックする」なんてやってないんだろうなー、というような、文章力以前の問題が全て「日本語が書けない」という現象として表出する。

この両ファクターを切り離して検討できれば面白いんだけど、「良い文章」を書くために必要な事のかなりの部分は、丁寧な執筆と慎重なチェックにあることを考えると、「そつのなさ」の訓練を積んでないというのはかなり弱点になるんだろうなと思う次第。

お前こそめちゃくちゃな文書のblog書き殴っといて何いってんだという感じではありますが、そんな感じー。

漢字変換とアプリケーションの問題

長年つきあわされれているので、「ああ、MSIMEの学習がそういう風に働いたのね」というような誤字脱字を凄く見かける。また、文章の基本ルール(冒頭インデントとか)を守れてないのとか、改行・改段落の位置なんかについて、ああ、Word のインターフェースをそう使うとたしかにそこでインデントを入れるの忘れるだろうなあ、みたいなのがうっすら見えることがある。

私は職能の都合で、そういうシステムとかアプリケーションの癖に振り回されている姿がよく見えてしまうんだけど、そんなにPC使って文章書き慣れてないお年寄りの方とかは、それもまた純粋に日本語力の欠如に見えることであろう。

というようなシステムの癖は、ATOK使うだけでも結構警告してくれていいと思うんだけど。まあもっとも「MSIMEの癖」が「ATOKの癖」に置き換わるだけだけど。とりあえず「私の大学の授業の」には≪「の」の連続≫って警告してくれるだけいいじゃないですか。

MSIMEよりはいいですよねVoid先生。ダメですかね。

ケータイメールの影響

ケータイメールじゃないんだから、「は」を「わ」で書くのやめなさい!

。。。ねえ、本気で書いてないよね?大丈夫だよね?単に癖になっちゃってるだけだよね?

徹底的なレビューの未経験

フルチェックしていて思ったんだけど、僕がそこそこ日本語が書けるつもりになっているのは、学部生の時にK先生にCNSガイドの原稿を死ぬほど赤入れされたから、というのが最大の理由だと思う。

で、こうして学生のレポートをチェックしていると、全員分のレポートに赤入れするのってコスト高すぎてなかなか難しい。ということは、よほど親切な先生に過去であったことがなければ、「まともに日本語が書ける人にまともな赤入れをしてもらって」文章を書いた経験なんてあるわけがなさそう、という事が想像できる。

書いてみて、ダメだって言われて、直す。それを徹底的に何度かやった経験がなければまともな文章なんて書けるわけないよなあ。

「思いました」文体

思いました文体の話は以前書いた通りだけど、今日も感じた。

http://logn.10yama.net/archives/50602231.html

簡潔で明瞭な文章についてのロールモデルの欠如

高校までの教育で、「客観的事実と主観的意見を区別し、簡潔で明瞭に書かれた、内容の面白い文章」なんてほとんど読んだことがないか、それが「名文」であると教えてもらったりした事はないんだろうな。

「文章には起承転結が必要です」とか教えられて意味わかんなくなってたりしてそう。想像だけど。要らないって起承転結なんてレポートに。せめて序破急にしてくれ(何)。

少しでも質のいい新書でも読んでる学生ならまた違うだろうけど、残念ながらうちの学生の多くは、読みたくもない物語や新聞を無理矢理読まされて、読書が嫌いになっているタイプが多いようなので、学校の勉強以外のロールモデルシステムも期待薄。

だいたい、「先生」やってるヤツの何割が簡潔で明瞭な文章かけるかね。

文章の種類

私は「読書感想文」が得意で、物語をよく読んでいて、文系小論文が得意だと受験の時に思っていて、その自信を全部赤入れでぶっこわされて「簡潔で明瞭」を目指す意味と価値をおしえてもらった上で、それを無視してダラダラblog書いたりしてるんで、どのパターンでもまあ対応白って言われればしますよと思えます。

が、ツールとしての文章を使いこなすには、そこらへんの使い分けが非常に重要であることを教育してもらう機会は、かなり貴重なもので、多くの学生は受けられてないんだろうなあ。

というわけで

普通の理系学部だとこれを読んでおけ、という事で終わったりしがちだが、正直これももう、今の学生の生育環境に適応してるかっていうとまた別議論だよね。全然理科系じゃなくても通用する本なのはよく知られている通りだけど、タイトルがなあ。まああと、正直重すぎるんんだよなー内容が。

理科系の作文技術 (中公新書 (624))
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新世代の良さそうな本も出てるけど、「これだ!」っていうのは未だに知りません。知っている人がいたら教えてください。

大学生のためのレポート・論文術 (講談社現代新書)
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とかかねえ。

避暑

嘉悦大学のセミナーハウスまで避暑に来ています。まあ、お仕事合宿なんだけど。

とはいえ、涼しいので頭が少しは働く。素晴らしいぞ。

子供の頃、某神奈川県の国立大学の教育学部の寮が別荘代わりになっていたものとしては、大学の寮に夏に来るって感覚がすごく懐かしい。もちろん、大学の規模が違うから寮のサイズも全然違うけど。ここはほんとちょっとした別荘ぐらいのサイズしかないからね。

でもADSL来てるしね。素晴らしくない?

あーもー八月中ずっといようかなここ。

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