先日とある場所で話題になったのですが、文科省しか使っていないのではないかという日本語、「精深な」という言葉があります。

どういう場所で使われるかというと、具体的には大学院設置基準、修士課程について。平成15年版より。

「修士課程は広い視野に立って精深な学識を授け専攻分野における研究能力又はこれに加えて高度の専門性が求められる職業を担うための卓越した能力を培うことを目的とする。」

でも、「精深」という日本語は、現在は調べた限り、広辞苑にも大辞林にも大辞泉にも載っていないのです。とりあえずATOKは変換できません。なお、これは「せいしん」と読むようです。某所ではみんなで「せいたん」と読んでいましたが違うみたい。

ググってみると、ヒットするのはほぼ全て、上記設置基準に整合性を持たせる形で書かれた、各大学院の学則ばかり。

なお、大学院の位置づけの遷移については下記アドレス参照。

http://d.hatena.ne.jp/next49/20080116/p1

で、じゃあ旧文部省の学校規定表現にいつ「精深な」が出てくるのかを調べてみたんだけど、どうも一番古いのは明治27年の女子高等師範学校規定ではないかと思われる。

http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198101/hpbz198101_2_064.html

ようするに、高等性を明示的に規定上で差別化しなくてはいけなかった時に使ってみた表現が「精深な」なのではないかと思われるわけです。

じゃあ明治期に「精深な」が一般的な表現だったのかどうかなんだけど、まあ明治期にポピュラーだったら今の国語辞典にも載ってそうな気がするんだけど、どうなんでしょう?

興味深いのは、中国語辞典には「精深な」が載っていたこと。

http://www.ctrans.org/cjdic/search.php?word=%E7%B2%BE%E6%B7%B1

j���ngsh���n: 深く詳しく

まんまですな。

というわけで、これは漢語もしくは漢文由来なのではないかと思いつつ、かなり頑張って検索結果の深いところに出てきたのが、

朱子の「小学」を安岡正篤が読み解いてくれる下記の本「人間としての成長」。

http://books.google.co.jp/books?id=GHnlB6cA63AC&pg=RA1-PA209&lpg=RA1-PA209&dq=%E7%B2%BE%E6%B7%B1&source=bl&ots=D_fXR--0k4&sig=bdgukmfxII_EKTIulNMP9EK9RVY&hl=ja&ei=_x8MSujNDoXo7AOUp-zzBw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=10#PPP1,M1

でどうも朱子&精深でググると中国語文献がいっぱい出てきて(当たり前)そろそろめげてきました。

明治期の教養ある官僚あたりが漢文的な表現を規定に使って、それがあまり近代日本語としてはポピュラーになる事はないまま、文字面としてはそのままで分かったような気になるので、戦後の学制改革時にもそのまま生き延びて、現代に至る。

というような感じで生き残っている言葉なのではないだろうかというのが今のところの推理。モガモガ。