学期が終わったので、採点時期。レポートをまとめ読みしてみる。最終レポートぐらい赤入れして返してみようかと思ったのだが、内容・文章とも、赤入れしようとするとついきっちり呼んでしまうので、いくら39人クラスと言えども一日仕事でまだ終わらない感じ。
内容面はまあ、「ああ、それ教えてないもんねー」等、どっちかというとこちらの至らなさを把握する感じではあるが、問題は文章力。
確かに「最近の学生はまともな日本語が書けない」んだよなーとしみじみ思う。まともな日本語としてそこそこまともなレポートをかけているのは、基準緩めに設定して2人いるかいないか、そんぐらい。
でもなんか、それって当たり前な気がするんだよね。というわけで、「最近の学生はまともな日本語が書けない」についての考察を少ししてみた。
そつのなさと文章力
何度か書いておりますが私の大学は「大学入試に向けて受験勉強を超頑張る」層ではない学生がターゲットなんです。入試の勉強でもっとも重要なのは知識よりなにより、「そつのなさ」を身に付けることだと考えると、はっきりいってうちの学生は「そつだらけ」。
慎重さに欠けるし、まあ大学の必修授業のレポートなんて書き殴ってるだろうし、コンピュータリテラシの授業でそんなに日本語をチェックされているとも思ってないだろうし、おそらく「文章を見直して、整合性をチェックする」なんてやってないんだろうなー、というような、文章力以前の問題が全て「日本語が書けない」という現象として表出する。
この両ファクターを切り離して検討できれば面白いんだけど、「良い文章」を書くために必要な事のかなりの部分は、丁寧な執筆と慎重なチェックにあることを考えると、「そつのなさ」の訓練を積んでないというのはかなり弱点になるんだろうなと思う次第。
お前こそめちゃくちゃな文書のblog書き殴っといて何いってんだという感じではありますが、そんな感じー。
漢字変換とアプリケーションの問題
長年つきあわされれているので、「ああ、MSIMEの学習がそういう風に働いたのね」というような誤字脱字を凄く見かける。また、文章の基本ルール(冒頭インデントとか)を守れてないのとか、改行・改段落の位置なんかについて、ああ、Word のインターフェースをそう使うとたしかにそこでインデントを入れるの忘れるだろうなあ、みたいなのがうっすら見えることがある。
私は職能の都合で、そういうシステムとかアプリケーションの癖に振り回されている姿がよく見えてしまうんだけど、そんなにPC使って文章書き慣れてないお年寄りの方とかは、それもまた純粋に日本語力の欠如に見えることであろう。
というようなシステムの癖は、ATOK使うだけでも結構警告してくれていいと思うんだけど。まあもっとも「MSIMEの癖」が「ATOKの癖」に置き換わるだけだけど。とりあえず「私の大学の授業の」には≪「の」の連続≫って警告してくれるだけいいじゃないですか。
MSIMEよりはいいですよねVoid先生。ダメですかね。
ケータイメールの影響
ケータイメールじゃないんだから、「は」を「わ」で書くのやめなさい!
。。。ねえ、本気で書いてないよね?大丈夫だよね?単に癖になっちゃってるだけだよね?
徹底的なレビューの未経験
フルチェックしていて思ったんだけど、僕がそこそこ日本語が書けるつもりになっているのは、学部生の時にK先生にCNSガイドの原稿を死ぬほど赤入れされたから、というのが最大の理由だと思う。
で、こうして学生のレポートをチェックしていると、全員分のレポートに赤入れするのってコスト高すぎてなかなか難しい。ということは、よほど親切な先生に過去であったことがなければ、「まともに日本語が書ける人にまともな赤入れをしてもらって」文章を書いた経験なんてあるわけがなさそう、という事が想像できる。
書いてみて、ダメだって言われて、直す。それを徹底的に何度かやった経験がなければまともな文章なんて書けるわけないよなあ。
簡潔で明瞭な文章についてのロールモデルの欠如
高校までの教育で、「客観的事実と主観的意見を区別し、簡潔で明瞭に書かれた、内容の面白い文章」なんてほとんど読んだことがないか、それが「名文」であると教えてもらったりした事はないんだろうな。
「文章には起承転結が必要です」とか教えられて意味わかんなくなってたりしてそう。想像だけど。要らないって起承転結なんてレポートに。せめて序破急にしてくれ(何)。
少しでも質のいい新書でも読んでる学生ならまた違うだろうけど、残念ながらうちの学生の多くは、読みたくもない物語や新聞を無理矢理読まされて、読書が嫌いになっているタイプが多いようなので、学校の勉強以外のロールモデルシステムも期待薄。
だいたい、「先生」やってるヤツの何割が簡潔で明瞭な文章かけるかね。
文章の種類
私は「読書感想文」が得意で、物語をよく読んでいて、文系小論文が得意だと受験の時に思っていて、その自信を全部赤入れでぶっこわされて「簡潔で明瞭」を目指す意味と価値をおしえてもらった上で、それを無視してダラダラblog書いたりしてるんで、どのパターンでもまあ対応白って言われればしますよと思えます。
が、ツールとしての文章を使いこなすには、そこらへんの使い分けが非常に重要であることを教育してもらう機会は、かなり貴重なもので、多くの学生は受けられてないんだろうなあ。
というわけで
普通の理系学部だとこれを読んでおけ、という事で終わったりしがちだが、正直これももう、今の学生の生育環境に適応してるかっていうとまた別議論だよね。全然理科系じゃなくても通用する本なのはよく知られている通りだけど、タイトルがなあ。まああと、正直重すぎるんんだよなー内容が。
新世代の良さそうな本も出てるけど、「これだ!」っていうのは未だに知りません。知っている人がいたら教えてください。
大学生のためのレポート・論文術 (講談社現代新書)
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とかかねえ。
元を生かしてまずい所だけなおすって難しいね。
本職の人に言うことじゃない気はするけど。
仕事で作成してる稟議書とかも、先輩が作ったもの含めて、
あちこちからセンテンス切り貼りして部分修正したのがまるみえで、
全体通してみると日本語になってない、みたいの多いよ。
で、いちいち全部指摘すると、
わかりゃいいんだよ的な反応する人も結構いるんだよね。
意識すべきかどうかに関係なく当たり前のように一貫したスタイルで書いてしまう、
というようなほど日本語の自分なりのスタイルが確立してないのかも。
逆に変な癖がついちゃってるのもそれはそれで困るけどね。