片手間に読んでたので全部読むのに半年近く時間がかかってますが、新年一発目の出張に行く途中のTG641機内でやっと上下巻全部読み終わった。新書で上下分冊というやり過ぎ感を著者も反省していらっしゃるようなのだが、そりゃまあ、第一人者がこんだけ「大学が誕生するまで」について気になっている諸々を書いていたらこの分量にもなりますよねえ、という内容。
それにしても充実した内容で、およそ「大学というシステム」について一度でも興味を持ったことがあったら、非常に面白い本だし、読んでおくべき本ではないかと。取り扱っているのは大正末期ぐらいまでの、1930年体制前までの話だけれど、出てくる議論がいちいち、今も似たような議論していているよなー、という感覚に満ちあふれていてすごく興味深い。あとがきの次の言葉が、正に読後感とも一致しているのです。
「『不易流行』という言葉があるが、大学改革とそれがもたらす変化という「流行」を追っているうちに、「不易」の部分、つまり改革の対象とされている我が国の大学組織や、高等教育システムの基本的な構造は何か、あらためて気になり始めたのである。明治の初めから数えても、150年に満たない大学・高等教育の歴史である。きわめて現代的な改革問題の多くが、その短い歴史のなかにルーツを持っているのではないか。現代的と見える問題の多くが、実は歴史的な問題ではないのか。」
本文では、明治末期〜大正期の、<(旧)専門学校>の<(旧)大学>への変換に至るまでの諸々の議論が紹介されていて、例えば次に示すような様々な話題が出てくるわけだけども、これら全て個人的に自分が巻き込まれているシステムの問題としてとても現代的な問題であり続けてるわけですよ。
例えば、大学の社会的役割について、「ドイツ・ヨーロッパ・モデル」vs「アメリカ・アングロサクソン・モデル」のモデル的対立とか、面白いんだよねえ。SFCの修士あたりがいまいち研究についてはっきりしない感じとか。専門性って何、とか。うちの大学なんて経営経済学部単科で今年まで大学院もないんだし、なんで "University" なんだよ "College" じゃん、と思うといった話題は、ああ、この頃から続いているんだよなあ、とか。
はたまた、今で言うところの国立vs私立の関係や、大学間序列の発生について。特に私学関係者にとっては、実質的に裾野を支える形になる私立セクターの役割、一方で常時私立セクターにはリソースが足りないという歴史の繰り返しはあまりに構造が変わってないので興味深い。微妙な気持ちになりつつも塾員の端くれとしては、慶應・早稲田ってのはほんとたいしたもんだよな、とか。慶應・早稲田がなかったら国の形がずいぶん違ったように見える。
全入関係で言えば、厳しい入学試験で学力選抜が行われる事は、供給量が入学希望者より少ないから成立する話なんだよなーといった、時代時代における、大学入学希望者と供給量の関係。他にも、理系・文系の成立であるとか、大学における外国語の役割とか、大学関係教授会自治システムの成立であるとか、停年制成立前の老教授たちによって新陳代謝が起きない帝国大学、等々。
ことごとく、今自分が議論したり巻き込まれている、大学に纏わる諸問題の原点がこの本に出てくる感じすらある。
私はこの2年ほど、嘉悦大学でカトカン学長の手下として、こぢんまりとした大学ながらも学内的には結構アグレッシブだと自認している改革をお手伝いさせていただいている。いわゆる「全入時代」に、倍率1.x倍程度で、大学として成立するかなりギリギリの線で踏みとどまっている状態を、いかに充実させていくかを日夜考えているおります。そういう状況で大学の運営委員会や新しい大学院の設立準備会議の末席を汚してみていると、「システムとしての大学」、「どうして大学はそういうものだとされているのか」、にどうしても興味が沸くんですよね。
また、その前の職場であったところの慶應DMC機構は、学部や大学院と切り離された研究所というかなり特殊な組織で、というのも元々が国立大学の構造改革に伴う補助資金を私立大学にも拡大させたという資金を獲得して設立されたという由来などもあって、何かと改革を要求される時限立法の組織だったので、これまた「大学って何?」という疑問をずっと考えざるを得ない場所でした。また、そもそも出身学部・大学院が所謂大学改革の旗手であるところの慶應SFCで、学際的研究なんてことをずっと言われていたりもしておりまして。だいたいさかのぼったら父親が大学教員だしさ、子供の頃から大学の研究室や大学の学生さんたちと触れてたし。毎年元旦は父の研究室の新年会が家であったのよ。親戚の集いでは父親と叔父さんが文科省にグチ言っていたのよ。
だいたい今この飛行機乗ってるのも考えてみればベトナムの大学の充実の支援とやら、なんで、余計なお世話なような気もしつつ、日本だけじゃなくて世界的にみて「大学ってどういうもの?」ってどうしても考えちゃうんだよねえ。
そしてまあ、いつも「自分の研究」を二の次にしてしまう私、といった問題もありまして。
と、割と大学入学してからこの方ずっと、「大学とは一体何なのか」について、おそらく一般的な伝統ある大学機関の出身・関係者よりも、皮膚感覚として考える必然を、背負わされたというか背負っちゃったといいますか、そういう者として、大変興味深い書籍でありました。