大学

WILLCOM never die

最近1年生が良くWillcomを持っているような気がするなー、と思って観察してみたのだが、結構な比率、感覚的には2割弱ぐらい、Willcomの Honey Bee か BAUM を持っているような気がする。とりあえず Honey Bee 液晶保護シートでもリンクしておくか。

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たいがいはケータイと2台持ちで、メールはケータイでやってるように見える。どういう使い分けなんだろうな−。

端末としては, Honey Bee と Baum の可愛さとこじんまりとまとまった感が2台持ちにちょうどいいのかもしれない。

という話をW社方面に詳しい人(あいつだよあいつ)に話したところ、こんな傾向があるとか。

  • ケータイ代は親の支援を受けているので一般用
  • WILLCOMは自分の小遣いで出す
  • 新しくカレカノが出来ると、カレカノ専用ぐらいの位置づけで買う
  • たまに、カレカノいないくせに見栄でカレカノ専用持ち歩くヤツもいる

最後のは、どっちかっていうとカレカノが出来るの阻害してるような気がしてならないのだが、まあ何となく説得力のある物語ではあった。

新しくカレカノが出来たら持つってことは、別れたらそれ使うのやめたりするのであろうか。例の一青窈「女は上書き保存、男はフォルダ保存」理論に従えば、別れたら女子は端末ごと捨てちゃうけど、男は端末ごと取っておいたりするんでしょうか。

実態を自分とこの学生に聞きゃいいんですけどね。以上、種明かしされる前に伝聞情報と想像をまとめてみました。

ズルムケなのも悪くない

なんか去年も着ていたんだけどメカ沢Tシャツが学生から学長室までなんだか好評。

何かとグチグチ言ってますが、基本的に私はこの数年楽しく生きている。

学生見ていると思うのだが、自分が依って立てるものが何なのかまだ確立できてない時期って、自分に対する抑制を無闇に感じてしまって、行動に対して良きにつけ悪きにつけリミッターをかけてしまうものなのかもしれない。しかも成熟社会である日本では、抑制要因を見つけるのがとても簡単。

それは一般論で言えば「こんなに勉強ばかりしているのはつまらない人間かもしれない」とか、「遊んでばかりいるのはどうかと思う」とか、「これを変えてしまえないのは何か理由があるはずだ」とかまあ、方向性はいろいろあるけど、どっぷり浸かる前に何か止めてしまうらしい。

さすがに最近自分が大人でないとはあまり思わないのですが、大人になって何が楽しいかと言えば、そういう不可解な自己抑制があまりなくなったことじゃないかと思う。

というか、抑制している余裕なんかない。わりとなんでも全力でかかってないと間に合わないし、チャンスを逃してしまうのがわかっているし、抑制の理由が大概実在しないものだったり、とりあえず自制するよりやってみて誰かが怒ってくれるならそれはそれでいいや、みたいな投げやりさだったり、そういう諸々の事をカラダで知っているからなんだと思う。だってなあ。

なんつか、オッサンのズルムケさってあるじゃん。それがじわじわ身についているのは、そんなに悪い気分ではない。人が死ななくて金が支出可能ですむ範囲なら、何やったって別にいいじゃん。

っていうか何かをやらないのが一番まずい。それがわかっているだけでも、生きてるのはそんなに悪くない、と思える生活を送れていて、それなりに幸せです。

ロジカルシンキングと同調圧力

大学一年生向けに基礎ゼミという授業を一クラス分担当しているのだが、これがまー、教える側のハードルが高い。資料は共通資料があるので、とりあえず授業はできるけど、どうにもうまく教えられている気がしない。というわけで今日からテーマはロジカルシンキングだったんだけど、教えるの難しいわ−。ロジカルシンキングって、正直自分でも得意ではないし。

基礎ゼミというのは要するに「ものの考え方」の訓練と実践をして、一定の成功感を得られればいい授業なんだと解釈してるんだけど、これが。

すごく見くびったいいかたをすれば、大学一年生のほとんどは「自分で自発的に物事を考えた」ことがないんだもの。

うちの大学は決して一流校ではないので、「成績がいい」タイプの子がいっぱいいる学校ではない。じゃあバカばっかかっていうとそんなことなくて、話してみると結構いい気づきをする学生や、頭いいなあと思う学生はいっぱいいる。学生に失礼な言い方をすれば、拾いモノの多い大学ではないかと思う。

ところが、そういう結構イケてる学生も含めて、課題をやらせてみるとなんでこうなんだろと思う事がある。(もちろん、いい課題を出してくる学生もいっぱいいる)。

課題の内容的な質がどうこうより、単純に条件を満たしていない場合が結構ある。課題の全体像や意図を読み取った上で、課題条件を「文字通り/リテラルに」読んで、ソツなく埋めることがあまり得意ではないのかもしれない。それじゃあいい成績は取れないよなあ。学校の成績は頭がいい悪いというよりは、ソツのなさが一番成因になるし。

なんというか、森と木を同時に見れない感じとでも言うか。森を見ろといえば森を見るし、木を見ろと言えば木が見れても、同時には見えないらしい。

また、自分で条件や内容を吟味しないで、「だいたいこういうことでしょ」という雰囲気だけ読み取ろうとする傾向が強い。悪い意味で空気を読めばOKだと思っている上に、実際には空気も読めてなかったりする。もちろん全体概要を把握するのは大事なんだけど、なんというか、中身を見ないで、空気・雰囲気だけで問題が解けると思ってしまっているのではないかと思う事がある。

正解がある問題を手順に従って解いたり、周辺状況になんとなく適応する訓練ばかり積んだ上に、それが得意ではないと思っているのかもしれない。

全体から感じられる、多くの場合圧倒的に足りないことは、「自分で自発的に物事を考えた」経験なのではないかというのが今のところの感想。自発的に物事を考えた経験が豊富であれば、課題や講義の内容を<自分で>吟味する事が可能だと思うんだけどね。

その経験を、いわゆる「勉めるを強いる」勉強ではない形で、かつ高等教育機関にできる経験の与え方はないのかというのを考えているんだけども、やっぱり教室の前に立つと、学生に「勉強しろ」と言うのが一番簡単で、どうしてもそういう物言いになってしまう事がある。勉強させた時点で自発的じゃないし。今日もまあ、それに近いような物言いで学生を叱ってしまった。叱ってる時点で、何か教育的誘導の失敗の累積があるわけで、自分がイヤになる。

同僚たちには、ほんといい先生が多くて(いや、ほんとに多いんだ嘉悦。イイ大学だよ今)。実に見事に、自発性を誘導できている事例が多く見られて、なんであれができるのか、ほんと不思議。

どうにもこうにも、私が学習するしかないわけではあります。どーしたもんかね。

なんかタイトルと書いた内容がズレてるような気がしてきたが、これはなんとなく私の中ではそういうテーマの一つでもあるんですよ。

RCサクセション「トランジスタラジオ」を普通に読み解いてみる

RCサクセション「トランジスタラジオ」には、メディア受容と教育について非常に示唆に富む内容が含まれています。

時代背景を考えるに、トランジスタラジオというのは当時において最も即時性の高いメディアである事は間違いありません。「知らない」「聞いた事がない」が連呼され、新しい知識・経験を得る際に、新しいメディアを利用することの重要性が描かれています。

一方、教科書というのはこの時点において、社会的評価の確定した知識の死蔵系、スタティックなメディアという認識で描かれているようです。

教育という行為の知識伝達という側面における最大の目的は、「受信者が知らない事・聞いたことがない事を、低コストに効率よく伝達する」事にあるわけですが、その際、受信者のアテンションがもっとも開かれた状況に環境を設定する事が重要になります。

トランジスタラジオという当時においてはパーソナルかつ即時性が高い伝達手段を用いてこの曲で描かれているのは、メディアの多様化を迎えた場合の社会において、他のより魅力的な知識伝達メディアが存在するときに、教科書-教室システムという形態が、受信者のアテンションエコノミーなどの観を鑑みた時に、教育手段としてどうなのよ、という教育批評の歌であると考えることができるでしょう。

。。。書いてみたらいまいち盛り上がらなかったので話題を変えます。

当時においては「君が聞いたことのないヒット曲」を聞くことが受信者にとって有意な事である、というのは重要な時代描写でしょう。なぜなら、21世紀00年台の若者の多くが「君が聞いたことがあるヒット曲」や「誰かが話題にしていたヒット曲」を聞くことに数少ないアテンションを費やしているであろう事は言うまでもありません。ていうかまあマイナー好きの人口比率と思い入れの問題だけどな。中2病賛歌だよねこれ。

。。。やっぱり盛り上がらんな。

うーん。blogって書くの難しいなあ。。。

なかよし3組

今日は、我が大学姉妹校の中学校で授業をしてきた。相手は中3約90人。

「サイエンス」という授業で、ゲストレクチャーしてもらったり、近所の科学未来館行ったりして授業してもらったりしているらしい。羨ましい話であると共に、それはま是非ご協力を、ということで。

基本50分x2コマ構成で、最初の一コマは3クラス合同、次の一コマはだいたい30人のクラス別でコンピュータ教室で授業。

内容としては、「情報量っていうけど、情報を量るって何?」っていう話。まあ、だいたい Hartleyの情報量ぐらいまでの話を簡単に説明して、あとは文字コードとテキストファイルのサイズの話なんぞをしてみた。

その後、情報圧縮の話とかも準備してたんだけど100分じゃ終わるわけもなく:-) まあ、大学講義一コマ分だもんな。

嘉悦とかSFCの情報処理系の授業1,2コマでやることを簡単にまとめて話したんだけど、中3ぐらいになると、別に大学1年生とあんまり理解速度代わらないんだよな。。。まだlog知らないから全部乗数表現だけでやるとか、そういう工夫はしたけど、理解速度という点では下手したら大学生にやるより早くてやりやすいかもしれない。変なコンピュータに関する先入観とか少ない状態でできるからねえ。

座学で大教室で合同授業というのは私が受講生としては一番苦手なので、間を持たせる意味も含めて、先日私の結婚式や某ringxの結婚式で使った、4択携帯早押しクイズのネタを仕込んで使ってみた。

しかし、件の中学では、普段携帯を登校時にクラスで集めて、下校時に返すというプロシージャが行われているそうで、この授業のために特別に生活指導上の許可を頂いて、授業中に携帯を使って貰った。

ところで、前日晩まで忘れていたのだが、彼らは未成年であり、悪名高き?有害サイト強制コンテンツフィルタリングの対象なんだよね。ホワイトリスト方式使われてるとかなわんなー、と前日晩に危惧してたんだけど、だいたいクラスの8割方はアクセスできてたみたい。デフォルトのブラックリスト方式からわざわざホワイトリスト方式に切り替える人ってやっぱ少ないんだろうな。

ま、早押しなんでそれなりに盛り上がってくれて助かる。とりあえずこれ、難しい問題だすと、思わず「わかんない!」って声を出してくれるので、理解度を見るには手っ取り早くていい。単なる四択より早押しで名前とか出せば、それなりに盛り上がるし。早押しだけに注力するヤツが増えるは難点だが。

ところでクラス編成がなかなか独特で、3クラスはそれぞれ、共学・女子・男子の性別クラス編成を行っているらしく、共学校と女子校・男子校の雰囲気を一度に味わって帰ってきました。

中3ぐらいだとかなり性別による態度差がはっきりしていて、なかなか面白い。男子はすぐに飛びついて勝手にやってるヤツが目立つ。

ちょっと残念だったのは女子クラスでいまいち盛り上がりに欠けたというか、興味を示してくれたのかどうかわかりにくかったこと。単にPCに触れてる経験の薄さによる取っつきやすさの問題なのかもしれないけど、どうもね。「情報系はほんとは女子の方が向いて居るんじゃないか説」の信者としてはちょっと残念だったんですけど。まあ、僕の授業技術の問題かなあ。

てな感じで、中3に教えるというのはなかなか新鮮な体験で面白い一日だった。まあ、ほぼ徹夜あけで200分授業やるとなかなか疲れたけど。

ところで、この二日ぐらい中毒気味にコレを聞いて居て、脳内でずーっと流れっぱなしなんですが。制服の中高生の群れを前にして、脳内で「地獄先生」が流れてて、別にやましいことはないのに困ったもんだったんですが、以下 Politically Incorrect な話題につき終了。

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大学のWebサイト

我が愛と憎しみの慶應SFC Webサイトがリニューアルしたよ。

http://www.sfc.keio.ac.jp/

前バージョンの中の人だった私としては大変感慨深いです。

既に何人かの知り合いがコメント書いていたり、中の人を例によって知らないわけでもなさそうだなあと思いつつみております。

初見としては、まあ、悪くないわね、とフランス人っぽく言ってみようかしら。

フロントは、学校として見せるものが教員・研究者であるっていう立場に立てるという意味でとてもうらやましい構成ですねー。

www.学校名ってのは結構今微妙な位置づけだなあ、と思っておりまして、というのも、対外広報の窓なのか、対内広報の窓なのか、いったい誰向けに作るべきななのか、そこらへんの位置づけがわかりにくいと思うんですよね。

まあでも、基本的には対外広報の窓だと考えると、対外広報的に、一見様に「おっ?」と思わせることが重要という意味では、かなりいい線は言ってると思うんですよね。

前バージョンが妙にそこらへん着実な情報誘導を気にしすぎていたという反省があったので、その点はおもしろい。

さて、実は今時のWeb構成としては、検索エンジンにどう反映されているか、っていうのが重要な課題だと思うのですが、その点、まだ更新したばかりのサイトってのは真価が計りにくい。一応、ページ毎のSEO的に間違ってないURLはついてるようだし、たぶんそれなりに使えるようになりそうだし。

外部向けで僕が最近気になっているのは、たとえば

「慶応 SFC」でググって来る人と、

「慶應 環境情報学部 入試」でググって来る人に、

それぞれ別のものとして、どれだけ適切でお手軽な導線と魅力提示を行えるか、っていうのがSEOやFeedと組み合わせることで可能か、というあたり、たぶんこれから新サイトの真価として問われてくるんじゃないでしょうか。

新バージョンの最大の残念な点は、学内向けの情報を割り切れなかったことじゃないかと思うんですけどね。学生向けや教員向けは、もっと地味ーでサクサク使えるサイトの方が便利だと思うし、今の構成だと余計なアクションが入ってしまって、それが弱い。

結局のところ、これはまあ慶應ってそういうものだからしょうがないんだけど、keio.jp と www.sfc.keio.ac.jp と SFS がどうにもこうにも連携してるのかしてないのかわからない関係になってしまう、そこが今回も解消されていないのが何とももったいない最大の過大なんじゃないだろうか。別に統一ポータルがあればいいという話ではなくて、学校組織としての問題点をそのまま反映してるような気がするんだよな。あれ。

等々。総合的感想としては「おもしろいトップページ作るっていう最大ミッション的にはOKじゃね?」って感じでしょうか。

本の並べ方

「情報検索の技術」という科目を担当しているのですが、普通に検索するだけならググれ、あとOPAC使え、で終わりかねないので、11月は主に図書館の仕組みや使い方について教えてみた。

本来専門ではないが、門前の小僧で、図書館情報学概論的な書籍の内容はおおむね理解しているので、ざっとその手の本を流し読みして講義である程度教えてみた。

NDC、10進分類法あたりの話とかね。

で、ふと思ったので課題として「図書館と書店とブックオフに行ってみて、書籍の並べ方がどう違うか観察してこい」っていう課題を出してみたんだが、なかなかみんないい観察をしてきて、なかなか面白い。

ついでだったので実習課題として、図書館で配架してこいっていう課題なぞ出してみたりしたのだった。

学生にはどの並べ方が優位か、というような議論はなく、ここはこういう並べ方をしていて、それは何故か?という事を考えて貰ったんだけど、どうもNDCの話していると、愚痴っぽくなるというか何というか、なまじっか利用しているだけにイライラする事が多い自分に気づく。

まあ最大のあれはそれだ、だってコンピュータの本が0と5に別れるんだもん。っていうのが最大の苦情なんだけど。

結局、NDCって根本的に近代的(現代でないという意味で)なのが問題なんだろうなあ、知識が階層的に存在するというまあある意味暢気な近代モデルに立っていること、書籍の出版量と分類の粒度が必ずしも現代のソレと一致しないこと、等々。

Amazon→opacを使ってんのは、Amazonのユーザビリティが高いという問題もあるが、少なくともコンピュータ関連書籍を探している限り、Amazonの分類方法の方が便利だ、というのが事実なのではないかと思う。

じゃあ図書館がそれに合わせればいいじゃん、という話になるかというとそうではなくて、おそらく図書館は書店と違ってアーカイブ機能があるため、歴史的な分類の一貫性が必要となり、無闇に<棚を作る>のは避けた方がいい、という話が結構大きいんじゃないかと思うのだった。

とか思いつつたまに読んでるblog見てたら、

「デューイ十進分類法を採用しない図書館,議論の的に」

http://current.ndl.go.jp/e677

さすがアメリカというか何というか。図書館業界の皆さんの抵抗感はすごく良くわかるけど、でもさー、多分この図書館使いやすいよ?

あと、部類体系そのものの国際化を図るという話なんかも出てるのか!という話題

「デューイ十進分類法、スウェーデン国立図書館が導入」

http://current.ndl.go.jp/node/9744

どっかでNDCとデューイ十進分類の関係とか議論されてたりするのかしら。されてんだろうな。

図書館は管理番号付与の方法と配架の方法を分離してもいい時期なのかもしれないなあ。その上で、物理的な配架場所ブラウジングをちゃんと離れた棚に対しても可能にするユビキタスUIとかが欲しいような気がしてきた。

会議ダンサー

この4月からなんだか偉そうな肩書きをいくつかもらってしまったので、やたら会議が多い。おまけに自分でも部内会議などやってしまうし。

しかし先日気づいてしまったのです。自分さえ喋らなければ会議が早く終わるということに!

今日など、運営委員会があったのだが、直前に割と急いで連絡しないといけない用事を思い出して、遅刻しますといい残して研究室戻って連絡とっていたのだが、これが思いの外手間取って30分ぐらいかかってしまった。

というわけで30分遅れて会議室に行ったら会議が終わっていた。いつも一時間半とかやってる会議なのに。

会議で踊ってるのは私一人ですかー!

ニコ動に公式チャンネルをつくりました

最近自分の事をあんまり書いておりませんが、うちの大学でニコ動に公式チャネルを作ったんで、ご興味あるかた、どうぞ。

http://www.nicovideo.jp/tag/kaetsutv

次回は加藤先生の気になる子ちゃんの予定です。(うそです)

理系・文系・(その他)

今の大学は所謂文系ですが、一応CSは理系の端くれであり、受けた学問の訓練はやっぱり理系のソレなのではあると思うのですが、とはいえやっぱり自分はそのどっちでもないんだなあと思う最近の生活です。

今同居人と話していて思い出したんだけど、僕が高校生の時に結構「コンピュータって面白いなー」って思ったきっかけの一つは、ASCIIかなんかに連載されてた、東京女子大学の黒崎政男さんの話だった事を思い出したんだよな。

哲学とか単語が重要な研究で、sedやgrepがいかに破壊的なテクノロジーか、っていうのを書いてあったと思うんだけど。確か連載がまとめてあったのはこの本だったと思う。

哲学者クロサキのMS‐DOSは思考の道具だ


この本、今にして思えば、検索エンジンが文化的に持つ意味とかを考えるのにすごくいい事がいっぱい書いてあって、ミッシングリンクを埋めるような意味があるような気がするんだけど、MS-DOSってタイトルが弱いよな...

そういえば、この本とか、伊藤ガビンさんのクマとか、SuperASCIIの村井さんのネットワークの話あたりが、実は今の私につながる原点なのかなあ、と思ったのでした。
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