現代社会の闇

コメントから

昨日のコメントを読みつつ考える。

ake>「文字で説明すれば済むので分かりやすく語らなくてもよい」、というのはかなりの転倒ですね。

ake> スライドに頼った発表も同じものですが。

スライドに頼った発表、が文字での説明を口頭で読み上げるという形になりがちな意味で、文字的な展開の稚拙な再演としての発表、になるのに対して、TVのテロップってのは、映像的な展開の再演としての文字、になってるのかなあ?まあどっちにしろ何か転倒してるんだけど。

Kim, slash>笑いのツボとか発言のポイントとかをわざわざ説明しないといけない、ってのがこの議論の核心かなぁと俺は思ってます。本来は受け手側に委ねられてしかるべきそういうツボやらポイントやらを番組側が明示しちゃう凄さ、っていうか。

これってさあ、実はTV的なお笑いの楽しみ方っていう、それこそシャボン玉ホリデーとかぐらいから蓄積されてきた文法理解リテラシーの社会的蓄積を、TVお笑いのフォーマット自体がぶっ壊したってことなのだろうか。

TV的なものも含めたリテラシー能力が高い人がTV的なモノから離れていって、映像的、TV的な意味も含めて総合的な文法理解能力が低い層にすり依った結果、最後に頼ったのは文字で説明することでした、一応文字ならみんな読めるしね、的なフォールバックというか。そこで残るの文字なのか、ってのがやっぱ凄いと考えるべきなのか。もしかしたらあのテロップは誰にも届いていないのかもしれないけれども。

テロップはバカのためにある、の凄さ

最近一時期ほどひどくなくなったけど、「テレビになんでもかんでもテロップが入る」のが極端になって、TVのバカ化の象徴みたいに言われてたことあったじゃん。

考えてみれば、「文字で説明するのがバカでも分かるようにするため」っていうロジックというか、価値観というかなんというか、の、転倒具合ですごいなと。

近代社会においては識字率≒文明度≒非バカ度、ってことになってたのに、識字率ほぼ100%の社会においては、テロップの文字で映像の内容を目地的に説明してあげる事は、バカのためになりました、と。

などという事をふと気が向いて手に取ってみたマクルーハンを読んでいて思った。メディア論の方は読むのめんどくさいのでこっち。

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「最近の学生はまともな日本語が書けない」について考える

学期が終わったので、採点時期。レポートをまとめ読みしてみる。最終レポートぐらい赤入れして返してみようかと思ったのだが、内容・文章とも、赤入れしようとするとついきっちり呼んでしまうので、いくら39人クラスと言えども一日仕事でまだ終わらない感じ。

内容面はまあ、「ああ、それ教えてないもんねー」等、どっちかというとこちらの至らなさを把握する感じではあるが、問題は文章力。

確かに「最近の学生はまともな日本語が書けない」んだよなーとしみじみ思う。まともな日本語としてそこそこまともなレポートをかけているのは、基準緩めに設定して2人いるかいないか、そんぐらい。

でもなんか、それって当たり前な気がするんだよね。というわけで、「最近の学生はまともな日本語が書けない」についての考察を少ししてみた。

そつのなさと文章力

何度か書いておりますが私の大学は「大学入試に向けて受験勉強を超頑張る」層ではない学生がターゲットなんです。入試の勉強でもっとも重要なのは知識よりなにより、「そつのなさ」を身に付けることだと考えると、はっきりいってうちの学生は「そつだらけ」。

慎重さに欠けるし、まあ大学の必修授業のレポートなんて書き殴ってるだろうし、コンピュータリテラシの授業でそんなに日本語をチェックされているとも思ってないだろうし、おそらく「文章を見直して、整合性をチェックする」なんてやってないんだろうなー、というような、文章力以前の問題が全て「日本語が書けない」という現象として表出する。

この両ファクターを切り離して検討できれば面白いんだけど、「良い文章」を書くために必要な事のかなりの部分は、丁寧な執筆と慎重なチェックにあることを考えると、「そつのなさ」の訓練を積んでないというのはかなり弱点になるんだろうなと思う次第。

お前こそめちゃくちゃな文書のblog書き殴っといて何いってんだという感じではありますが、そんな感じー。

漢字変換とアプリケーションの問題

長年つきあわされれているので、「ああ、MSIMEの学習がそういう風に働いたのね」というような誤字脱字を凄く見かける。また、文章の基本ルール(冒頭インデントとか)を守れてないのとか、改行・改段落の位置なんかについて、ああ、Word のインターフェースをそう使うとたしかにそこでインデントを入れるの忘れるだろうなあ、みたいなのがうっすら見えることがある。

私は職能の都合で、そういうシステムとかアプリケーションの癖に振り回されている姿がよく見えてしまうんだけど、そんなにPC使って文章書き慣れてないお年寄りの方とかは、それもまた純粋に日本語力の欠如に見えることであろう。

というようなシステムの癖は、ATOK使うだけでも結構警告してくれていいと思うんだけど。まあもっとも「MSIMEの癖」が「ATOKの癖」に置き換わるだけだけど。とりあえず「私の大学の授業の」には≪「の」の連続≫って警告してくれるだけいいじゃないですか。

MSIMEよりはいいですよねVoid先生。ダメですかね。

ケータイメールの影響

ケータイメールじゃないんだから、「は」を「わ」で書くのやめなさい!

。。。ねえ、本気で書いてないよね?大丈夫だよね?単に癖になっちゃってるだけだよね?

徹底的なレビューの未経験

フルチェックしていて思ったんだけど、僕がそこそこ日本語が書けるつもりになっているのは、学部生の時にK先生にCNSガイドの原稿を死ぬほど赤入れされたから、というのが最大の理由だと思う。

で、こうして学生のレポートをチェックしていると、全員分のレポートに赤入れするのってコスト高すぎてなかなか難しい。ということは、よほど親切な先生に過去であったことがなければ、「まともに日本語が書ける人にまともな赤入れをしてもらって」文章を書いた経験なんてあるわけがなさそう、という事が想像できる。

書いてみて、ダメだって言われて、直す。それを徹底的に何度かやった経験がなければまともな文章なんて書けるわけないよなあ。

「思いました」文体

思いました文体の話は以前書いた通りだけど、今日も感じた。

http://logn.10yama.net/archives/50602231.html

簡潔で明瞭な文章についてのロールモデルの欠如

高校までの教育で、「客観的事実と主観的意見を区別し、簡潔で明瞭に書かれた、内容の面白い文章」なんてほとんど読んだことがないか、それが「名文」であると教えてもらったりした事はないんだろうな。

「文章には起承転結が必要です」とか教えられて意味わかんなくなってたりしてそう。想像だけど。要らないって起承転結なんてレポートに。せめて序破急にしてくれ(何)。

少しでも質のいい新書でも読んでる学生ならまた違うだろうけど、残念ながらうちの学生の多くは、読みたくもない物語や新聞を無理矢理読まされて、読書が嫌いになっているタイプが多いようなので、学校の勉強以外のロールモデルシステムも期待薄。

だいたい、「先生」やってるヤツの何割が簡潔で明瞭な文章かけるかね。

文章の種類

私は「読書感想文」が得意で、物語をよく読んでいて、文系小論文が得意だと受験の時に思っていて、その自信を全部赤入れでぶっこわされて「簡潔で明瞭」を目指す意味と価値をおしえてもらった上で、それを無視してダラダラblog書いたりしてるんで、どのパターンでもまあ対応白って言われればしますよと思えます。

が、ツールとしての文章を使いこなすには、そこらへんの使い分けが非常に重要であることを教育してもらう機会は、かなり貴重なもので、多くの学生は受けられてないんだろうなあ。

というわけで

普通の理系学部だとこれを読んでおけ、という事で終わったりしがちだが、正直これももう、今の学生の生育環境に適応してるかっていうとまた別議論だよね。全然理科系じゃなくても通用する本なのはよく知られている通りだけど、タイトルがなあ。まああと、正直重すぎるんんだよなー内容が。

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新世代の良さそうな本も出てるけど、「これだ!」っていうのは未だに知りません。知っている人がいたら教えてください。

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とかかねえ。

TV的フレーム

先日、私の勤務先(嘉悦大学)の試みがNHKの「おはよう日本」で4分ぐらい報道されまして。「中退防止の取り組み」というフレームで。

比較的好意的に報道していただいてはいたのですが、そこはTVというものなので、「こういうフレームで行く」という枠で切り取られる訳ですよね。大学の中退防止を図るために学校は奮闘している、的な4分間。

とはいえ、大学としては「中退防止」という観点を捨てたわけじゃないにせよ、別に中退が多いから慌てて何かしているとか、中退率見て連動して何か動かしてるとか、そういう事じゃないんだけど。名前を間違えられていた私の同僚にせよ、「中退問題担当の教員」なんかをやらされた覚えも、やってる覚えもないだろうけど、字幕ではそう出る。だってそういうフレームだもの。

報道していただいた内容のほとんど全ては、ただ単に「より良い大学環境とは何か」をシンプルに追求した結果のスキームであって、仮に中退率が今後下がっていくとしても、それは言わば二次的な結果に過ぎないんだけどね、本当は。まあとはいえ、あえて世間的な言葉を使えば、顧客満足度の向上を図っているとも言えるし、中退率は下がるだろうなあ、と期待しつつ取り組んでいないわけではないけどね。

ほぼ丸二日間各所を撮影していって、実際に使われるのは4分程度。先生や学生に山ほどインタビューを撮って、取り上げられるのは教員2人、学生が数カット。もちろんテレビというのはそういうものであると分かっているわけですが、改めて再確認したわけですが。

逆に見て、あの4分のために丸二日もスタッフ動員するんだから、そりゃーテレビって制作費かかるよなあ、とか感心してみたりもしたんだけど。というか、NHKだけだよな。あれに二日もかけるの。すごいよね。

あのコーナーで我々として一番ありがたかったのは「ね、テレビってこういうものなんだよ」っていうメディアリテラシー的な経験を、学生に伝えられる事かもしれない。

私たちが取り組んだ基礎ゼミのカリキュラムは、わかりやすいフレームで切り取れば、「夏休みの目標を立てさせる」にShrinkする。それは仕方ないけど、仕方ないんだけどさ。「夏休みの目標を立てさせる」のが目標でやってるわけじゃないんだ!とは言いたくはなるよね正直。

それなりに「大学生らしい」思考スキームや表現方法を伝えることが基礎ゼミの目標なんだけど、問題はそれを「まだ大学生になりきれていない」学生さんたちの経験から離れすぎないネタを使ってやる必要があるところ。メタな思考も血肉にしなければならない。それなりにハードルが高いです。

一見高度な言葉や専門的な知識を与えれば、それを勝手に自己の経験や社会に当てはめて考え抜いてくれるほど、今の学生さんは「高度で専門的」に対して無条件に付加価値を認めてはくれません。血肉になる「思考の経験」の仕方を、しかも必修授業で与える上手い枠組みを、こっちとしちゃ必死で考えているつもりだけど、もちろん学生には必ずしも伝わってないし、TV的なフレームで見れば「夏休みの宿題」を「傾聴って言葉も分からない」学生考えさせていて大変ね、になるわけ。

「傾聴」を言い換えるのはただ単に、概念を教えるだけならその言葉を使えばいい。でも「実際に傾聴をする」のがどれぐらい難易度が高いかは、実際教員みんなでコーチングの訓練やって、どの程度本気で傾聴するか難しいかは分かった上で、「傾聴してみろ」って言ったってできないよね、と分かった。じゃあそれをどう説明するか悩む。実際にやってみたり、言葉を言い換えてみたり、メタファーを使ったり。でもその過程は、TV的フレームで言えば「傾聴をチョー聞くに言い換えるアホな教員会議」になるんだよね。やっぱり。

ま、私も別にそういうTV的フレームはそれはそれで好きな時もあるし、実際朝のTVの1枠で今書いたようなことなんて伝えられるはずもない。

そりゃそうだよな。前の年から延々と議論して準備して、一ヶ月10人の大学教員が(半端モノでも)取り組んで教えようとしてる内容のスナップショットなんだもん。

なーんて言ったら負けなのかもしれない。もし僕が本当にそのTV的フレームが不満なんだったら、4分間で、「中退防止」ぐらいわかりやすい文脈で、自分がした努力とやらを、プレゼンテーションできなきゃ負けなんだろうなあ。やりたきゃYouTubeでもなんでもあるわけだし。流す方法。

いったいどうやって世間に伝えるんだ?となったら、本質的には、受講した学生さんたちに期待するしかないんだけどさ、そんなこと言ってもずいぶん先の事になっちゃうから、上手いアピール方法を考えないいけないんだけど、はてさて。

とりとめございませんが、まあ何かいろいろ思うところがあったので書いてみた。

ご批判を頂いていて面白い

私の大学に関する読売の記事についてコメントをいただいたようで面白いのでリンクする。仕事前なんで手短に。

http://www.ashida.info/blog/2009/07/post_365.html

「そもそも「担任」はラインではない。カリキュラムや授業がくだらないことが、「居場所がない」ことの最大の理由なのに、「担任」はその相談には本質的に乗れない。」

全くその通りで、担任を担当してはいるが、誠実にやろうとすればどうやったって自校否定の要素は含まれてくる。大学の「担任」をやるのは、否定するのはアリだと信じて好きにやってるけど、何に肯定する価値があって、何は否定していいのか、自分自身のラインをなるべく学生に伝えていくことは結構重要なんではないか、と思った。

とりあえず、まあ新聞記事にまとめられるとあんな感じですけど、文面より面白いことやっている自負はある。つったってまあ、それが世間にアピれなきゃなんの意味もないんだけどね。

あと、とりあえず、ほんとは入試から変えて、マッチングを正確にやらないと、「偏差値で評価されたら勝てない学校」が生き残る意味はないのかなと。

ズルムケなのも悪くない

なんか去年も着ていたんだけどメカ沢Tシャツが学生から学長室までなんだか好評。

何かとグチグチ言ってますが、基本的に私はこの数年楽しく生きている。

学生見ていると思うのだが、自分が依って立てるものが何なのかまだ確立できてない時期って、自分に対する抑制を無闇に感じてしまって、行動に対して良きにつけ悪きにつけリミッターをかけてしまうものなのかもしれない。しかも成熟社会である日本では、抑制要因を見つけるのがとても簡単。

それは一般論で言えば「こんなに勉強ばかりしているのはつまらない人間かもしれない」とか、「遊んでばかりいるのはどうかと思う」とか、「これを変えてしまえないのは何か理由があるはずだ」とかまあ、方向性はいろいろあるけど、どっぷり浸かる前に何か止めてしまうらしい。

さすがに最近自分が大人でないとはあまり思わないのですが、大人になって何が楽しいかと言えば、そういう不可解な自己抑制があまりなくなったことじゃないかと思う。

というか、抑制している余裕なんかない。わりとなんでも全力でかかってないと間に合わないし、チャンスを逃してしまうのがわかっているし、抑制の理由が大概実在しないものだったり、とりあえず自制するよりやってみて誰かが怒ってくれるならそれはそれでいいや、みたいな投げやりさだったり、そういう諸々の事をカラダで知っているからなんだと思う。だってなあ。

なんつか、オッサンのズルムケさってあるじゃん。それがじわじわ身についているのは、そんなに悪い気分ではない。人が死ななくて金が支出可能ですむ範囲なら、何やったって別にいいじゃん。

っていうか何かをやらないのが一番まずい。それがわかっているだけでも、生きてるのはそんなに悪くない、と思える生活を送れていて、それなりに幸せです。

流行防止

えーと、多少良くなりましたがそういうわけで喉の具合がいまいち、という事情はあるにせよ、夫婦そろって先ほどマスクをいろいろ買ってきてしまい、今うちには元々あったのも含めてこのようにマスクがございまして。ええ。

送信者 2009/05/17 マスク

オイルショックのときはこういうバカがいてトイレットペーパーがなくなったんだろうなあ。。。

合理的な性差による差別の危険性

流行物が好きなのでこんなのを読んでいます。

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さて、この本で一章を裂いて「合理的な人種差別の危険性」というテーマが書かれています。基本、アメリカ黒人についての話なんだけど。

要するに、生得的な能力に人種間に差がなく、「黒人嫌い」というような不合理な差別意識が雇用側になかったとしても、黒人労働者は教育を受けることをやめ、雇用者は黒人をなるべく傭わないよう、負のスパイラルが起きてしまう可能性とそのメカニズムの話がありまして。

さらに、「白人の真似」をするやつは嫌われるというシステム、「勉強好きな黒人の子供は仲間から徹底的にいじめられる」という背景にも残酷だけどある種の合理性がある、どんよりする話が載っている。

一応念のため、この章の最後には(とてもアメリカらしい)希望の種も乗っています。しかしこの希望の種は日本では、特に現代日本では成立しにくい要員があるので、ますますうんざりできます。

という章を読み終わった後で、Twitter読んでいたら姉と知人がこんな会話をしていた。

  • 「そえば小学校高学年の頃の勉強のできる女子には、独特の「優等生やってらんねーなあ」的アンニュイ感があって、あれはよかった。萌える。...」
  • 「彼女たちが向かった高偏差値の私立の女子高ってのは、シェルターだったのかもしれないな。」

ああそうだった、日本の場合、自縛的に発生してしまう最も顕著な差別は性差だった。

昔から分からないことがあって、少なくとも僕は自分の周りにいる人たちを見る限り(まあなんていったって妻はどう考えても僕より優秀なエンジニアだ)、Computer周りの作業をさせたりさせたときに、女性が男性よりも優れている理由はあっても、劣っている理由はあまり見つからない。ただ単に人口が少ない。

この前中3相手に教えていて改めて気づいたのだが、「それが分かるか分からないか」以前に、コンピュータに関する話と言うだけで、女子の一定層が "It's not my business!" 感を醸し出しているような気がしたのだ。

気がしただけなのか本当にそうなのか、合理的に説明できるような統計は取っていないので、印象論なのですが、コンピュータに限らず、「理系に女子が少ない」のは、「理系に女子が少ない」から。「女性の社会進出が進まない」のは、「女性の社会進出が進んでいないから」というような、自己完結的な説明と、それを裏打ちする自縛的なコミュニティによる同調圧力がかかってるせいなんじゃないのか、という仮説がだんたん重くのしかかってくる。

勉強をすること、特に理系の勉強をすることが「男の子の真似」というような明示的な揶揄をされることは少ないとは思うのだが、「女の子のくせに」というフレーズであれば、まあ馴染みがあるでしょう。

ちなみに、ちなみにその続きで知人がtwitいたのだが、

「子供の頃、いじめられるのって真っ直ぐっていうか純粋っていうか不器用な子じゃない?勉強できるできない関係なく。真っ直ぐ学問にうちこんでる人もその中に含まれるかもしれないけどー...」

まあ、そうなのかもしれず。要するに自分の知的能力を「空気を読む」事に振り向けているほうが、短期的な生きやすさに圧倒的に寄与する。それをしないですむのは、「空気を読んでかつそれを無視して自分のしたい方向に空気を作れる」HPとMPを持つ革命家か、「空気を読んでないと言われてるのを無視して、自分のしたいことに熱中できる正負両方の鈍感さ」を持つ魔法使いしかないのだろうか?

となると、シェルターとしての私立女子校は一種のアフォーマティブ・アクションとして機能して居るんだろう。一次逃避には有効だろうけど、中期手に社会全体にとっては逆に足かせになってしまう可能性もある。

まあいろいろ考えつくんだけど、この章の「黒人」を「女子」だと思って読んでみると、気味が悪いほど一致するような気がするんだよ。そして、その事がものすごくこの社会を僕にとって生きにくくしているような気がして成らないんだよね。

なかよし3組

今日は、我が大学姉妹校の中学校で授業をしてきた。相手は中3約90人。

「サイエンス」という授業で、ゲストレクチャーしてもらったり、近所の科学未来館行ったりして授業してもらったりしているらしい。羨ましい話であると共に、それはま是非ご協力を、ということで。

基本50分x2コマ構成で、最初の一コマは3クラス合同、次の一コマはだいたい30人のクラス別でコンピュータ教室で授業。

内容としては、「情報量っていうけど、情報を量るって何?」っていう話。まあ、だいたい Hartleyの情報量ぐらいまでの話を簡単に説明して、あとは文字コードとテキストファイルのサイズの話なんぞをしてみた。

その後、情報圧縮の話とかも準備してたんだけど100分じゃ終わるわけもなく:-) まあ、大学講義一コマ分だもんな。

嘉悦とかSFCの情報処理系の授業1,2コマでやることを簡単にまとめて話したんだけど、中3ぐらいになると、別に大学1年生とあんまり理解速度代わらないんだよな。。。まだlog知らないから全部乗数表現だけでやるとか、そういう工夫はしたけど、理解速度という点では下手したら大学生にやるより早くてやりやすいかもしれない。変なコンピュータに関する先入観とか少ない状態でできるからねえ。

座学で大教室で合同授業というのは私が受講生としては一番苦手なので、間を持たせる意味も含めて、先日私の結婚式や某ringxの結婚式で使った、4択携帯早押しクイズのネタを仕込んで使ってみた。

しかし、件の中学では、普段携帯を登校時にクラスで集めて、下校時に返すというプロシージャが行われているそうで、この授業のために特別に生活指導上の許可を頂いて、授業中に携帯を使って貰った。

ところで、前日晩まで忘れていたのだが、彼らは未成年であり、悪名高き?有害サイト強制コンテンツフィルタリングの対象なんだよね。ホワイトリスト方式使われてるとかなわんなー、と前日晩に危惧してたんだけど、だいたいクラスの8割方はアクセスできてたみたい。デフォルトのブラックリスト方式からわざわざホワイトリスト方式に切り替える人ってやっぱ少ないんだろうな。

ま、早押しなんでそれなりに盛り上がってくれて助かる。とりあえずこれ、難しい問題だすと、思わず「わかんない!」って声を出してくれるので、理解度を見るには手っ取り早くていい。単なる四択より早押しで名前とか出せば、それなりに盛り上がるし。早押しだけに注力するヤツが増えるは難点だが。

ところでクラス編成がなかなか独特で、3クラスはそれぞれ、共学・女子・男子の性別クラス編成を行っているらしく、共学校と女子校・男子校の雰囲気を一度に味わって帰ってきました。

中3ぐらいだとかなり性別による態度差がはっきりしていて、なかなか面白い。男子はすぐに飛びついて勝手にやってるヤツが目立つ。

ちょっと残念だったのは女子クラスでいまいち盛り上がりに欠けたというか、興味を示してくれたのかどうかわかりにくかったこと。単にPCに触れてる経験の薄さによる取っつきやすさの問題なのかもしれないけど、どうもね。「情報系はほんとは女子の方が向いて居るんじゃないか説」の信者としてはちょっと残念だったんですけど。まあ、僕の授業技術の問題かなあ。

てな感じで、中3に教えるというのはなかなか新鮮な体験で面白い一日だった。まあ、ほぼ徹夜あけで200分授業やるとなかなか疲れたけど。

ところで、この二日ぐらい中毒気味にコレを聞いて居て、脳内でずーっと流れっぱなしなんですが。制服の中高生の群れを前にして、脳内で「地獄先生」が流れてて、別にやましいことはないのに困ったもんだったんですが、以下 Politically Incorrect な話題につき終了。

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結局今日も

結局三田は避けられず停電停止作業につきあう。

そんでもってはまり道のため現在午前2時に近づきつつあります。何だかなーもー。

早く世界がクラウド化しきりますように。

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