http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/20080717

また雨宮blogに素敵な事が書いてあったのでそれについて思うことなど。

以前も何かにつけ書いた事があるような気がするが、私の信条として

「人は見た目が100%」

というのがあり、なんとかそれを教員として学生にうまく伝える事ができないかと思うことがあります。いやおまえそのツラでそのちょいメタボで言ってんだと思われますので具体的な方策は考えてないんですが。

まあそれにしてもさ。「人間は内面」とか言ったってさ、外見以外の何から内面知れっていうんだよと。そんでもってまた、外見「だけ」取り繕っても内面というか外見とセルフアイデンティティとの間にある程度バランスが確立されてないと、間抜けなだけですよねと。まあ間抜けなのも可愛いって考え方もあるが。

ヤンキーテイストは個人的には嫌いだが、ああいう外見をするのはそれはそれで内面を伝えるためのメッセージを採用しているわけで、他者の視線に対する鋭敏さという意味では真っ当な態度であって、問題は誰にどう見られたいのかっていうあたりの感覚のところであろう。(潜在的なモノを含む)仲間内以外からどう見られたいんだよあんた、的な問題。

まるで外見に気を遣っていないんですよー、というような「げんしけん」の斑目が咲ちゃんに言われる前の状況のようなオタク的な外見というのも、「秋葉系」という言葉ができちゃったりカテゴライズされたりすることから分かるように、外見に気を遣わないというのも含めて内面をメッセージ化してしまうわけですよね。それで買ったジャケットがアキバ専用服になるのが可愛いんだけどあれは。>斑目

というようなのは、長年たぶんお洒落だと思って人生生きている姉に思春期にかなり指導されつつ、鉄道研究部とかオタワールドにきっちり遣っていたあたりから今現在に至るまでのマイライフの反映であるわけで。

モテたくて(by 天久聖一)の意味をすごく広く取ることで、「他者からの視線によってのみ社会的存在としての自己は構成される」というテーゼを割とシンプルに伝えられると思っているのですが、「モテたくて」を読んでそれを考えろと言っても無理な気はするのだが。

モテたくて…


「モテたくて」が重要なのは、最後の方が「惚れたくて」になるっていう事でもある。単にホメ殺しじゃねえかという話はあるが、「モテたくて」=他者からの視線に対して真摯に対応する、なのだとしたら、「惚れたくて」=他者の外見的メッセージに対して徹底的にポジティブな読解を、誤読であろうが何であろうがやる、というかなりアグレッシブな態度表明を行っている事ではないかと思う。

「好みのタイプ」を探しているよりは、「相手の中で自分が好みなところ」を探した方が幸せになれるような気がするじゃないですか。

というようなあたりは生きる上で重要な態度だと思うんだけどな、と良く思うのでできればうまく後輩たちに伝えたいモノだなと思うんだけど、上下関係が存在する場所で言うにはなかなか Politically Incorrect な表現になってしまいがちなので、難しい。

で冒頭に戻って雨宮blogだけど、すごくいいなと思ったのが「この人の書いていることは、必ずしもモテや恋愛のことじゃなく、鬱病だらけの世の中をサヴァイブする知恵、みたいなことなんじゃないかと思う。」っていう一文。

僕は女子じゃないし、そもそも蝶々さんの本読んでないから僕自身が直接どう感じるかは分からないんで、女子学生に勧めるかっていわれたあまりにキモすぎるのでしませんけど、例えばむしろ10代男子は読むとすごい勉強になることが書いてありそうな気がするんだよな。

もちろん自分の関わった人が中身のない人には成って欲しくないけれど、「人は内面」だなんて無責任な事を僕は言いたくないし、外見だけに振り回されるのも内面しか考えないのも鬱への道に一直線って感じでお勧めできないと思いました。

それこそ「死ぬほど」外見は重要なんだけど、その重要さってのはそんなに悪い事じゃない、僕たちが社会性を持っているっていうのはそういうことなんだよ、っていう事が伝えられるといいな、と思いました。

この手のメッセージを書いている時の雨宮まみblogは本当に素敵だと思いました。